痛ましい事件が続く。犠牲者のご冥福を祈ります。
銃: 日本でも報道されているように、ヴァージニア工科大学で 銃乱射事件があった。 聴講している翌日の講義ではクラスメートの一人が「友人が いる」(撃たれず無事)とのこと。議論のクラスなので ・銃規制への影響 ・メディア報道に触発された模倣事件の危険性 などがDonからも指摘されていた。
また、彼が帰化したKorean Americanであったことは
米国のKoreanコミュニティーに大きな衝撃 だったであろうし、日本人の自分ですら恐らく白人や アフリカンアメリカンが犯人だった場合とはかなり違った 衝撃を受けた。Rich Kidsに対する憎悪、というキーワードが リッチで有名なUSCの学部生たちにインパクトがあったことは 大半のクラスメートの表情でもわかった。格差社会、米国が 抱える問題の一端を身近に感じた。 映画評論家の町山さんのブログで比較的詳細に論じられて いる。こことかここ。 軍隊: 来週のFinal Debateに向けてリサーチを続けている。 「米軍のイラク撤退は今年中に開始すべきではない」 という主張を支え説得するだけの材料が必要だ。 世論もメディアの論調も実際の法案も、全てが Leave ASAP! だが、 僕らのチームは Leave, but not yet! を主張しなければならない。 今のままでは二次資料のみで弱い。撤退の必要性は認めつつ いかに来年から始めないといけないか、という論戦を 張れるか。そのために必要なロジックとエビデンスは何か、 こういうことを実践で体験するためのDebateなのだなあと 感じつつイラク情勢を追いかけ、考える。 ヴァージニア工科大の事件を報道する横には、 「イラクで自爆テロ死者合計200人超」という見出しが。 議論: 米国人は議論好きだ。 という命題は真か偽か。 真だとして議論が上手い米国人は幸せをより 効果的に手に入れているのだろうか。 日本人は議論が下手だ。 という命題を出してくるとどうか。 議論と幸せを因果で考えることが間違っているのか。 議論は手段であって目的ではない。 だが議論すら行われないor機能しない社会も厄介だ。 うむむ。日米のいろんな事件を見ているとわけがわからなく なってくる。 社会のステージに応じて意思決定(リーダーシップ)の スタイルは変化し組み合わせられてしかるべきだが、 変化できない国はどうなるのか。絶えず変化を受け入れて いる国の強さはどこまで続くのか。 父と子: 偶然読んだ物語も、今日のドラマERも、テーマは 「父と子」 前者はガン末期の殺人犯が小学生くらいの息子を 約束していた遊園地に連れて行って観覧車の中で死ぬ話。 彼はかつて取調べをする老刑事に言う。 「なぜ子供はあんなに嬉しそうな顔が出来るんだろう?」 「俺はあんたより幸せだ。俺には息子がいるが、あんたには いない」 後者はうっ血性心不全で亡くなった中年男の高齢の父の話。 彼は認知症で息子が面倒を見ていた。亡くなった男は 父と二人で事業をはじめ、一緒に働き、事業を拡大した。 つい最近父の面倒をみるために自宅に事務所を移した。 独身で母を亡くしているので自分が父の面倒を見ていた。 亡くなる寸前まで父のことを心配して。 息子の死を覚えていられない父。説明されたその瞬間は 理解できるのだが、数分すると忘れてしまう。 ナーシングホーム(老人ホーム)への入所の手続きをして 見送ったルカが、その後で自分の息子をひざの上で 遊ばせながら言う 「彼は幸せだ。毎日息子を失わなくて済むんだ」。 二つの物語は言ってしまえばどちらも陳腐で、 お涙頂戴の王道だ。 だが、自分に息子が出来て感じるその印象は以前とは 大きく異なる。 陳腐な物語が無くならない理由はここにあったのか。 二つの物語に共通するのは、父は幸せだ、ということだ。 子供から大いなる喜びを得て、親は幸せだ、ということだ。 その幸せを大事に自分も日々を生きようと思う。 ![]() |
現在、「唯一の超大国」を自認する大きな象徴の一部が、銃と軍隊であると認識しています。
少なくともこの2点について、米国人が議論好きであり、終始議論を繰り返してきたことは認めますが、結局「変化できない国」のままであったこともまた事実です。 議論好きであることは、必ずしも絶え間ない変化を保証するものではありません。米国の振りかざす論理に、いつもdoubule standardを感じずにいられない理由が、この辺りにあります。
【2007/04/21 02:48】
URL | 南十字星☆ #-[ 編集]
I agree with youだね。
ブッシュ大統領の演説もdouble speakと 言われて久しいし、共和党が蓄積してきた 民衆プロパガンダの技術は秀逸だしね。 でも銃と軍隊以外のところでは外の血を入れて どんどん変化していく。名言がある。 「米国はなんでも受け入れる。うまくいくか試した後にね」 というやつ。 ヴァージニア工科大学の事件も基礎として 移民問題がある。政策決定のステップが 議論する力に裏打ちされているとしたら、 一つの社会のあり方の基礎をなしている 技術ということにはなるんだけども。 結局、議論する力にしてもなんちゃらリテラシー にしても、「幸せになるための技術として 機能させる知恵」が必須なんだろうね。 ![]() |
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