ちょっと考えれば当たり前のことだと思うし、効率の
点でも、翻訳業界ではそういうパターンが結構多いと
思うのだが(もしくは下訳⇒ネイティブチェック)、
相当量の翻訳仕事を一気にこなしていると更に
その重要性がわかってくる。
日本人でも特定の訓練や経験がない人だと
日本語が下手なのである。
そこで重要なのは、英語の知識ではなく、
むしろ的確な日本語をこなれた表現に落とし込む能力、
である。
これは今回の下訳をプロではない人に頼んだから
余計に明確にわかることなのだが、こなれた日本語を
書くには、ある程度の訓練や経験が必須なのである。
現在聴講しているpublic speakingの講義でも、
「英語で伝えたいことをちゃんと書くのはネイティブに
とっても大変」とDonがいつも言うが、それの日本語版
というわけだ。
さて、ではどうすればその能力が身につくか。
翻訳の学校に通ったりしたわけではなく、なんとなく
それでお金をいただくようになった自分としては
全くの我流だが、以下のことが重要であると思う。
1.読み手の立場にたって日本語を書き、再読⇔修正を繰り返す
⇒そのため、読者がどういう人たちかはすごく重要
2.自分自身の癖(てにおはや句読点や表現など)に
いかに自覚的に、自戒的になれるか
3.そしていかに効果的に自分以外の人の目を入れるか
(校正・チェック:ただし能力の高い人の)
いつも思うが、正しい翻訳をしたからといって全てが伝わる
わけではない。しかし、ネイティブにとっても英語(原語)
のままで全てが理解できているわけでもない。日本語も
またしかり。論理構造があいまいな日本語の方が???な
文章は多い(このブログも?)
文字を通じたコミュニケーションの限界
を自覚しつつ、背景や書き手の意図や読み手のニーズ
を汲んだ文章作法が、そこでは必要になるのだろう。
家族への便りでも、
恩師へのお礼の手紙でも、
就職活動のレジメでも、
ラブレターでも
一緒だろうと思った。
言葉が伝わらないのは
だれのせい
自分のせい
それとも相手のせい
誠意を尽くして言葉を尽くして
伝わらないのは仕方がない
自分にその能力が無かっただけのこと
相手にそのニーズが無かっただけのこと
コミュニケーションを欲する人は
コミュニケーションをあきらめることも
身に着けなければなりませぬ
コミュニケーションなんたるかを求める人は
コミュニケーションをあきらめることも
身に着けなければなりませぬ
あきらめて初めて
コミュニケーションの意味の断片が
あきらめて初めて
求める答えの断片が
あきらめてはじめて
相手の顔に
自分の顔に
笑顔が戻る
こともある
何事も今の自分の現実をそのまま受け入れて、精進精進。