皆さん(特に管理人の友人の医師の皆さん)知ってました?
管理人は知りませんでした。う〜ん自分の教養の無さに ちょっとあきれました(とはいえ、今に始まったことでは ないので、ま、いいか)。いくつになっても知らないこと ばかりです。。。 本日はいつも勉強させていただいているTaejunomicsさんの エントリ:人ノート6:チェ・ゲバラ―赤いキリストを を拝読して思ったことをつらつらと。 (Taejunさんの意図や上記エントリの主旨は読ん でいただけるとよくわかると思います。ウィキはこちら) 以下、Taejunさんの本題とは異なりますが、 ヘルスコミュニケーション的に気になった部分を勝手に引用 行いが愛情に裏打ちされていたので、彼は、どんなときでも、不正に手を染めることはありませんでした。 むしろ、周りの同志たちに煙たがられてしまうほど、彼の清廉潔白ぶりは徹底していました。 キューバ革命に参加する以前からも、その萌芽は見て取れました。 医者であった彼は、一時期、医者のアルバイトをしてお金を得ていました。 しかし、彼はすぐにそれをやめてしまいます。 なぜか。 青年ゲバラの言葉を聴いてみましょう。 「医者は白い上着を着て、白い靴を履いて、病人から金を搾り取っている。だが、そういうことはするべきじゃないんだ。 ぼくは、いくら家庭的な事情でお金をほしいからといって、この日ごろの持論を破るわけにはいかない。 こんなアルバイトはよすよ。」
この部分、彼のいたアルゼンチン(またはキューバ)という
国の国情や医療事情を踏まえて考える必要があります。 つまり公的補助が希薄で、医療費が高く、医者が そういう風に機能していたということでしょうね。 (すんませんちゃんと調べたわけではないんですが) その点を踏まえて、彼がこのセリフで言いたかったことを 考えていたら、以前読んだ三国志の漫画「蒼天航路」の一節を 思い出しました。曹操と神医華佗(かだ)のくだりです。 曹操(華佗の診察と治療を受けた後で): 「からだの内のしくみと300余りの生薬を知り尽くし」 「気血の陰陽と虚実を診(み)、 病根を断じて 処方を決め」 「鍼灸、執刀などの妙技をふるう」 「それが医術か?」 (衝撃を受けたような華佗の顔) 「時に儒を語り」 「時に"蛇"などと妖しげなたとえを用いて 余命を非常に宣告する」 「それが神医か?」 華佗(顔面蒼白で): 「神医」 「さような呼称を誉れとして 生きているとでもお思いか?」 (徐々に表情と語気を強め) 「この生涯の間に救える命はせいぜい数千」 「だが一方で病んだ国の屠(ほふ)る命はその万倍!」 (激昂して) 「医の道に50年!」 「その虚しさから解かれたことは一時たりとてない!」 (以上、蒼天航路26巻より) 華佗のような思いをいだく医療者は少なくないのでは、と 思います。心臓外科でナースとして勤務していた時に オペの難しさや回復の大変さを日常体験していると、 その「終わりの無さ」に、改めて「予防」という言葉の 意味が大きくなり、自分の中ですごく変化している ことに気付きました。 医療や医学はその根底に社会学があり、 公衆衛生学などの社会医学系の領域は、 その体現の1つなのでしょう。 では、医と社会はいかに交わるのか。 交わりえるのか。 当たり前ですが、どんな集団も組織も社会も国家も 人が作っているのであり、冒頭に戻すとチェ・ゲバラの ような偉人=「個人」によって変わる、変えられる、 ということがすごく大事な気がします。 一人一人にその可能性がある、ということですね。 別にオチはないんですが、 思ったことを表現したり議論する際に、 一般化と日常的な具体とのバランスを 意識して考えていきたい今日この頃でした。 ![]() |
もう一つ挙げるなら、「釈迦は医者だった」でしょうか。病気・怪我こそが人間生活における最大の脅威であった時代には、目の前に現れる患者に対する医療行為そのものが、社会に対して有効なメッセージを包含したのだろうと察します。
チェ・ゲバラが医者だったことは寡聞にして存じませんでした。 三国志は昔読破したけど、なつかしいなぁ。これこそ多くの真面目な医療者の日々の実感だね。私たちは、苦しむ人、死んでいく人を日々目のあたりにしながら仕事に取り組んでいる。でも、政治・経済に関わる人々は、自分の行為の直接的・間接的結果により死んでいく人々を目のあたりにすることがないからこそ、「どんなことでもできる」んだろうな。
【2006/09/01 21:51】
URL | 南十字星☆ #-[ 編集]
おお!さっそくの反応ありがとう。
そうか、釈迦も医者だった、か。 利他的・愛他的な人が医の世界や人の健康に 注目するのは、普遍的で自然な流れなのかも ね。 後半については、最近膨大な情報量に さらされていて、まだまだちゃんとは整理でき ないんだけども、「政治・経済(あと経営)に 関わる人々」と「苦しむ人・死んで行く人を目の あたりにしながら仕事に取り組んでいる人々」 のギャップを埋める方法は在って、そのヒント は既に世界中にあるように感じています。 今は十分にその「方法」が使われていない だけだと感じてる。 この1,2年で自分なりにスタンスを固めたい ところ。・・・楽観的すぎるかな? いつも拙いエントリーを取り上げてくださって有難うございます。
エントリーを読みながら、孫文や魯迅を思い出しました。 二人とも途中まで医者としての道を歩きながら、当時の状況から、国を何よりもまず治さないといけないと思い立ち、かたや革命家、かたや文学者となった彼らの考えにも通じるところがある気がします。 これからもどうぞよろしくお願いします。 横レスで失礼なのですが、南十字星☆さん、バラモンから学んだ医術を用いて人を救っていたというエピソードは知っていましたが、ブッダが医者だったと言うことは、初めて知りました。。 ありがとうございます。 Taejunさんコメントありがとうございます。
中国も医経由の偉人の多い土地ですね。 個体の病んだ心と体を治す⇒集団の病を治す という発展もまた、人によっては自然な流れ なのかもしれません。 financeに様々な背景の人が居ていいように、 医療関係にももっと様々な背景の人が 居ていいのだと思います。hybridな何か。 ![]() |
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