映画評論家の町山さんのブログで紹介されていた
言葉をご紹介 -- 映画『Vフォー・ヴェンデッタ』のヒロイン、ナタリー・ポートマンにインタビューした時、彼女はこう言った。 「ニュースや新聞で『死者二名』と読んでも、みんな『そういうものか』と思うだけです。その死者数が二百人に増えても、二十万人になっても、二百万人になっても、自分とかかわりがなければ、人は『そういうものか』と思うだけです。そういう数字にもマヒして、何も感じなくなります。でも、その二百とか二百万という数はただの数字ではありません。ひとつひとつが私たちみんなと同じように、それぞれの人生を生き、人を愛し、愛されていた人たちなんです。映画や物語の使命は、ひとつひとつの数字に想像力で血肉を与えて、ひとつひとつの人生として感じられるようにすることです。私はそうしていきたいと思っています」 --
死生学というか、グリーフワークやターミナルケアや
医療における死を考える際に、よく 「2人称の死」「3人称の死」という表現が使われる。 肉親や身近な人の死は「2人称の死」。 そうでない人の死は「3人称の死」。 医療者が患者の死を単なる「3人称の死」ではない 状態で体験することがよく教科書レベルでも論じられる。 上記紹介したナタリー・ポートマンの発言は、 彼女達の仕事は、観客や視聴者にこの「3人称の死」を 擬似的にであれ「2人称の死」に近づける行為である と解釈することが可能だ。 ドラマや物語は、数字にしか過ぎない人の死や痛みを (ざらっとした、またはぬめっとした:なんでもいいが) なんらかの感触や感情を伴うものに変える装置、 なのかもしれない。 そこにこそ人は影響を受け、ヘルスコミュニケーション的に 言うと、行動変容効果や教育効果や情報普及効果が 生じるのだろうし、昔から人はそういう力を活用して 来たからこそ、ドラマや物語は無くならないのだろう。 ![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
|
ブログ内検索
|
|
|
|
プロフィール
|
|
Author:taka
|
|
カレンダー
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
リンク
|
|
RSSフィード
|
|
|
|
Powered By FC2ブログ
|
|
|